公害病
この映画ではジョニー・デップ演じるユージンが沖縄戦の後遺症で写真と向き合えなくなったカメラマンということだった。
1971年。四半世紀の話。そっか。私は戦後まだ四半世紀で生まれたんだと実感。
それでも私は戦争の影を感じることはなく、今回のキーとなる公害病で少し苦しんだ過去があるわけで。
四半世紀って今で考えると阪神・淡路大震災から四半世紀なわけだけど、戦後の復興の方が勢いがすごかったんだろうなと想像していた。
水俣病
教科書で水銀中毒で多くの人が苦しんでいるのが水俣病くらいの認識しかなかった。
私は四日市ぜんそくの認定を受けていたようだが、小学校に上がる直前に北関東に引っ越したことで完治した。
なのであまり記憶にはない。それでも苦しかったことは身体が覚えているのだろう、タバコへの欲求は人生で一度もなかった。大人になってもちょっとしたことで検査をするとなぜかぜんそく反応が出ることがあったが、ストレスからのことが多く、すぐに解消するのだが。
水俣病は地元の人にしかわからない痛みや悲しみがあることを初めて知った。
そして水俣市はこの映画の存在に対してあまり好意的ではない報道があることに驚いた。
この映画ではあくまでも対企業という構図であった印象だが、それでも警察がかなりの妨害活動をしていることから水俣市も結託していたと見たほうが良かったのかもしれない。
市内の大企業の存在と公害の問題は本当に難しいことだと思う。
多くの人に役立つものを生産し、雇用を促進していることと、それに対して犠牲を負わせるのは違う。
浅野忠信演じる松村もユージンたちを歓迎し、宿泊までさせるが、我が子が患者であってという話もするが、自身が雇われていることで写真撮影まではさせない。
同じ町、村に被害者家族と働いている家族が混在している。
会社がなくなれば生活ができなくなる。被害者家族は補償を求めるが、双方で意見は一致しない。
國村隼さん演じる社長さんは社長として会社を守ろうとユージンを買収しようとするが、ユージンは断る。
人々の生活を見て撮って自分の存在意義を感じたようだったが、そうだよね。当たり前のように放火されてしまう。
そりゃあそうでしょ。妨害しようとしているんだから何が何でも会社を守るための工作はするでしょと。
そのことで自暴自棄になるが、編集長のボブはユージンの写真の必要性を訴える。
加瀬亮がね、また誰だかわからないくらい役になりきっているし(加瀬亮の印象が「SPEC」のままなのがいけないんだけど)他の人はどう演じたのだろう?
セルビアで撮影をしたとあった。日本にもまだこんな風景があるんだと思っていたら違ってたらしい。
ジョニー・デップの素行からなんか不穏な動きがあったみたいだけど、日本で公開される前に多くの国で既に上映されている。
アメリカでの公開は未定らしいが。
これはきっと日本の水俣市というところで起きたことを取り上げているが、世界中のいろいろなところで同じように苦しんでいる人がいることを世界中の人が考えるべき作品なんだってことなんだと思う。
アメリカは他人の国の問題は取り上げるが、自国では公害はないはずがない。それがあまり出てなかったように思う。
水俣病ということだけでなく、企業発展の影で被害にあっている人が今この瞬間に苦しんでいる。
日本はそういう過去をきちんと学んでいるように思う。その成果がきっと海外から絶賛される「安心・安全」に繋がっているのかもしれない。隠すのがうまくなっているということじゃないことを願いたいが。
写真の力で世の中が変わる社会でありますように。