【映画 友罪】感想。これは21年前の事件と関連があるのだろうか

21年前の事件は忘れられない

21年前の5月24日。あの事件が報道された。

1997年。

神戸で起きた連続児童殺傷事件。

罪を犯した人は幸せになってはいけないのですか?

この映画の根底にあるものは「罪を一度でも犯したらその人は幸せになってはいけないのか?」

この映画では3人の過去の罪と向き合う人が描かれている。

主人公の生田斗真演じる益田の罪。

瑛太演じる鈴木であり、青柳健太郎が少年A。

そして佐藤浩市演じる山内の罪。

開始すぐの山内の罪がわかりづらい。私は少年Aの父親なのだと思った。

多分、実際の少年Aの家庭をベースにしているのだろうと思う。

山内はタクシー運転手をしているが、そこにある男性が訪れて酒に酔った状態で待っていた。

「俺の子供を返してくれ」

償いをしても追いつかない山内。

見えてくるのは自分の罪ではなく、自分の子供の犯した罪の賠償。

自分の子供が殺してしまった子供の親の元へと謝罪に行くが「こんなことされても子供は帰ってこないんだ」と冷たく突き返される。

それでも行くのは自己満足なのか?

親の責任なのか?

親はどこまで責任を持たなければならないのか?

それが交錯している。

殺人事件が発生し、そこに山内のタクシーでかけつける雑誌記者の山本美月演じる杉本清美。多くの人の頭によぎるのは過去の連続殺人事件。犯人の目星がつかない清美は編集長から少年Aのその後について探るようにと言われる。

ある工場に益田と鈴木が入社する。

鈴木の暗さにみんなが遠巻きにしている。

益田は元ジャーナリストということが知られているが、それなりに先輩につく。

1戸建てに住む先輩に半分脅されて鈴木の部屋を漁る。そこにある絵。ちょっと年齢のいった女性の裸体。

ナイフまである。

得体の知れない人間と言うことは言える。

夏でも長袖のシャツを着ていることもあり、工場では鈴木のシャツをめくりあげ入れ墨があるのでは?と言うことも思われている鈴木。

そんなことを遠目で見ている益田。

そんな益田もうなされる日々だった。そして隣の鈴木も。

鈴木はあまり部屋に寄り付かない。街で時間を潰しているところで逃げる夏帆演じる藤沢美代子を助ける形になる。

美代子はどこかビクビクしながら生きている女性で、まぁ見ててイライラするタイプの女性。

ある夜、青木崇高演じる先輩の清水が玄関で酔いつぶれて嘔吐している。

自分のことを悪く言っている相手だと知ってか知らずかそんな相手に対しても介抱する鈴木。普通、躊躇してしまうことをすんなりとする人間だ。

そんな鈴木に益田が「自分の自殺した同級生に似ている」と言う。お互いにうなされていることに気づいている。

お互いの根底を知りたいと思いながらもそれ以上は聞けない。そして鈴木は唐突に「俺が死んだら悲しいと思えるか?」と問う。益田は戸惑う中で「悲しいに決まっているだろ」と言う。それは鈴木にとっては重要な一言になっていく。

鈴木は美代子が追いかけられている場面に出くわし、助ける形となる。

元カレの達也は彼女をAV出演させていた。

益田は自分の罪と向き合おうとしていた。

それは自殺した同級生の親のところに行くこと。余命いくばくもない同級生の母親にとって益田は息子の唯一の友だちだった。

益田にとって同級生の自殺は消えない過去と罪だった。

益田は仕事中の不注意で指先を2本切断してしまう。

切断した指を氷に入れて持ってくる鈴木。

無事に指の手術が終わる益田。見舞いに来たのは元恋人の雑誌記者の清美だった。清美は児童殺人事件で行き詰まっていること、そして少年Aの再犯じゃないかと言う噂があることについて意見を求めるが、ジャーナリストを辞めた益田は拒絶する。

退院した益田を祝うために先輩の清水や助けた美代子、鈴木も来てカラオケを楽しむ。

楽しそうな鈴木の動画を撮る益田。

帰り道、指のお礼を言う益田に鈴木は「友達だから」と告げる。

清美から再度の意見を求めるライン。事件を調べる益田の目の前に14歳の鈴木に似た少年の写真が目に入る。

そして、医療少年院の先生の写真。それは鈴木のスケッチブックに描かれていた人だった。

鈴木は「少年A」なのか。

「少年A」を辿り、少年Aの中学時代の同級生を訪れる。そして鈴木の動画を見せると本人だと教えられる。

「ともだち」になった人間が犯罪者だった。

別のストーリーも展開している。タクシードライバーの山内だ。

誰かの葬儀へ向かう。そこは元妻の父親の葬儀だった。

息子が未成年で無免許運転の上、小学生を殺してしまう。そのことで家族は解散し、それぞれで生活を送っていた。

今の日本は子供の事故であっても家族全員を許さじという空気が流れる。

自分の子供が殺されたのにという被害者意識もあるだろう。それを受け止めて謝罪の意識だけで生きていた山内にとって久しぶりの元妻家族との再会だった。

そして元妻の母親も在宅介護状態になっていたが、何も手助けを出来ていない。

そこに財産分与の話となる。自分たちはそんな資格はないと言う山内に「家族だろ?」というが、山内にとっての家族とは?がある。

そんな元妻との会話で事故を起こした息子の現在を知る。

家族を離散したのに息子は家族を持とうとしていた。困惑する山内。山内は息子の元を訪れる。

妊娠3ヶ月だという。

自分が他人の子供を殺したのに子供を持つことをどう考えるのだと問いただす。

妻となる女性も「償いの気持ちでいるし、一度罪を犯した人間には幸せになる権利はないのか」と言う。

難しい問題だ。

最後には結婚式をあげる二人の式を壊そうとするが元妻らに止められる。山内にしてみたら償いのあとに家族が戻りたかった意識が強い。それなのに勝手に他で家族を作ってしまうなんてという思いなんだろう。

山内の思いは通じず、息子からは「償いはこれからは自分がしていく。縁をきる。」と言われる。

難しい問題。

医療少年院の白石という先生を演じる富田靖子。どうしても若い時のイメージが大きかったから、ずっと「誰だっけ?」状態。

そして医療少年院ではずっと少年Aを担当し、自分の娘に対して何もしてこなかったようだ。

娘が突然堕胎証明書にサインをして欲しいとやってくる。が、「命をどう思っているの?」と言ってしまう。娘はそのまま出ていってしまう。

それからしばらくして病院から電話。と同時に医療少年院でサイレンが鳴り出す。

現場に駆けつける白石。そこにはいじめられていた少年がいじめていた少年を殺そうとしていた。

白石は「想像して。殺したらいなくなるのよ」と言い、そのまま病院へ。

病院では4ヶ月で流産した娘が寝ていた。

そこでは少年Aにかかりっきりだった母を責める娘がいた。

子供が出来たら幸せがあったと言う母。娘は「いつ殺されるのかわからない、いつ殺すかわからない」と言う。そう、自分がどう頑張っても殺人をする人は殺人をするし、事故で人を殺してしまうんだ。

それは許されないとして社会が成り立つのだけど。

記者の清美に益田なりにまとめたレポートを差し出す。それでも中途半端に感じた清美は「これでは彼に向き合っていない」と突き返す。

うーん、どの立場で言ってるんだ?

で、清美は「動画を見せて欲しい」と言う。

自分のスマホで見せる益田。

鈴木は美代子と仲良くなっていた。似顔絵を描いたりして幸せな感じ。

が、美代子の元カレはそんな美代子を貶めるためにAVのDVDを鈴木の家に投函する。それを見る清水たち。鈴木は怒りを清水たちに向けないようにテレビを破壊する。

それに怒り殴る蹴る清水。どっちが悪だ?犯罪者として更生しようとしている人間に対して一般人がしていることは何なんだろう?

美代子はまた犯されていた。

そんな美代子の元に駆け付ける鈴木。元カレの暴力を受け、自分を殺せと自分で殴る。

それを見た元カレは「狂ってる」と逃げ出す。

少年Aの現在が記事になってしまう。益田の動画の写真を掲載されて。

どういうからくりか全然わからないんだけど。

殴り込む益田だが、止められる。

帰ると雑誌を見ている清水たち。「殺人者と同居していたなんてゾッとする。」

人を殺めているかいないかで昨日までの友は他人となる世の中。

美代子に鈴木からのメッセージが。それに「ごめんなさい」とだけ返す美代子。

助けてもらっていてもやっぱり「過去」が引っかかるものなのね。

自分だったらどうだろう?

わからないな。その場にならないと。

知り合った人が全員善人なんてあり得ないけど、まぁそれなりに良かったのかもしれないけど。

鈴木は家を出て行く。

そして益田は自分のまたも犯してしまった罪と向き合うために最初の罪の場所へと向かう。

そこは中学時代の同級生が自殺をした場所。

この同級生の自殺は1986年に起こった「中野富士見中学いじめ自殺事件」がモチーフだろう。

クラス全員から「葬式ごっこ」をされた中学生が自殺をする。

そんな事件だ。

益田はそのクラスメイトで自殺した同級生の親友だったという設定だ。保身のために見捨ててしまった同級生への自責の念。

自殺をさせてしまった場所へ行く。

鈴木もまた自分が殺してしまった殺害現場へと行く。

益田は鈴木の元へ行かなければと思う。今度こそ友達を守るということを思って。

3つ、4つの罪が入り乱れる。

現実にあった事件をモチーフとして。

益田が起こした事件の当事者は今45歳くらいだろうか?彼らはどう思って日々を贈っているのだろう?

当時の教師は?

酒鬼薔薇聖斗は?

20年まで毎年届いたという謝罪の手紙。それが今年は届かなかったと言う。

手紙を書くことで罪と向き合っていて欲しいと願いながらも届けられる手紙が重かったという被害者家族。

加害男性も35歳。新しい戸籍で生きているのだろう。

数年前には告白本のようなものを出しているが、その後はどうしているのだろう?

そんなことを考えていた。

罪と向き合うこと。

日本ではかなり難しい。まぁそれはどこの国でも同じなのかもしれないけど。

【映画 恋は雨上がりのように】感想。大人の男に恋する時期

高校生の淡い思い

高校生の時期、私も好きな相手は社会人だった。同年代の男の子には全く目が向かない。

まぁファザコンだったのだろうと思う。

そして、小松菜奈演じる橘あきらも親の離婚もあって父親の存在と重なっている部分もあったんじゃないかって勝手に思っていたけど。

40代のおじさんは臭い

もうね、最初は大泉洋演じるファミレスの店長のおじさん臭が漂う笑い。

あきらと一緒にバイトをしている松本穂香演じる西田ユイは普通の感覚の持ち主で45歳の店長のことを「店長って何か臭いし」と言ってしまう。

それを聞く店長はおもむろにワイシャツを着替える。そして同年代の濱田マリ演じるベテラン店員に「俺って、臭いかな」とポツリ。

ベテラン店員は店長の煮え切らない態度をあまり良く思っていないこともあり、「臭いですよ。」と一刀両断。

バッサリと切り捨てる感じで小気味いい。

大泉洋と濱田マリの掛け合いがツボ。面白すぎる・・・

そんな店長に恋しているあきら。

美人のあきらをバイト先の磯村勇斗演じる加瀬亮介やクラスメイトでもありバイトも一緒の葉山奨之演じる吉澤タカシが思いを寄せる。

そんな二人には塩対応のあきら。

でもあきらの態度に店長は「嫌われている」と思っていた。

愛想のないあきらは見つめているつもりが店長は睨まれていると思う感じで。

ある時あきらは店長に打ち明ける。

「私、店長のこと好きです。」

突然の告白に嫌われていると思っていた店長の対応は「良かった〜」と想像と違っていた。

まぁまともに取り合ってもらってなかったのだけど。

あきらはお客様の忘れ物を届けるためにダッシュをする。すごいスピードに驚く。

あきらは陸上部の短距離走の選手だった。

でも、練習中にアキレス腱を断裂していた。

久しぶりのダッシュで炎症を起こしたあきらを病院へ連れていく店長。

距離が縮まるのか?

車の中で店長に本気の思いを伝えようとするが、さすがに45の分別ある大人は反応にこまる。

が、あきらの必死さに負けてしまう。

あきらはバイトを休んでいるところに店長がお母さんに挨拶をしに来たと手土産を持ってあきらの家の近所を訪れる。

横浜駅の近くの繁華街に住むあきら。

店長は「すごいところに住んでるね〜。何でもあっていいじゃない」と言うが、あきらにとって店長がいない場所は「何にもない場所」ってことらしく「何もないです。」と言う。

他の店のファミレスでドリンクバーからコーヒーを持ってくる店長。そしてミルクを手品で出す。

「うん?デジャブな感じ?」

ここでやっとあきらが店長を好きになった経緯がわかる。

怪我をしたあきらは松葉杖をついた状態で雨の中、ファミレスで時間を潰していた。

そこが今のバイト先のファミレスだった。

そしてぼーっとしているあきらに店長がコーヒーのサービスを持ってくる。

「ブラックは飲めない?」と言うと手品のようにミルクを出して驚かすのだった。

陸上だけに熱中していた彼女の心に店長がストンと落ちてしまったようだ。

そんな〜時代も〜あったねと by 中島みゆき「時代」

って感じ。

年齢とかじゃなくて、なんか突然落ちる人って居るなぁ〜。私も小学6年の時に新卒採用で来た先生に突然ビビビってきて初恋に落ちたもの。

未だに年賀状のやりとりくらいしている関係ではあるけど。

まぁ今思うと11歳上だけど、小学生だからね。

高校生と45歳よりはマシでしょうが。初恋なんてそんなものよね。

あきらは店長とデートの約束を取り付けたところで、店長への思いを高瀬に知られてしまう。

高瀬は黙っている代わりに自分とデートすることを要求する。

桜木町駅前で待ち合わせる二人。あきらはオシャレ要素ゼロの「空手チョップ」と書かれたTシャツとデニムというスタイル。

そしてホラー映画に行き、お茶をする。

高瀬は店長に憧れる行為を批判する。まぁそうよね。男ですもの。

店長とのデートも桜木町駅前。あきらはワンピースでオシャレをしている。

映画は高瀬と見たのと同じ映画。そしてお茶も高瀬と同じ店。

あきらは「次はどこに行きますか?」と要求するが、さすがにおじさん店長は「いや、もう帰らないと」と煮え切らない。当たり前ですね。

それでもしつこく要求し、「つまらない場所でもいい」ということで、二人で図書館へと行く。

店長は小説家を志していたが未だに何もない。

あきらは店長に「何かオススメの本がありませんか?」と言うと「君が必要とする本があるはずだから」と返す。

あきらは「Run」という陸上の本を手にする。

店長は九条ちひろと言う作家の小説を手にする。そこにあきらが来ると「これを書いた人間、知り合いなんだ」と言う。それを褒めるあきら。人はなぜ著名人と知り合いというだけでその人まで「すごい」と勘違いするのだろう?

ってことで、最初九条ちひろは別れた元奥さん?とか思ったのだけど、もっと衝撃的だった。

あきらの思いは止まらない。

両思いになれるというキーホルダーのことを聞くとガチャガチャをずっと回す。そこに親友の清野菜名演じる親友のはるかが通りかかる。

陸上部の部長なんだろうな。そして親友。あきらの復帰をずっと望んでいるけどなかなか言えない。

あきらは夏祭りにはるかを誘う。

浴衣の二人。

あきらの目的は子供と行くと言っていた店長と会うことだった。それを感じたはるかは「部活に来ないで何をしているの?」とけんかをしてしまう。

店長はお祭りの後に居酒屋へ。そこには先客が。

なんと九条ちひろ役は戸次重幸だった。

シゲと大泉洋が演技とは思えない感じで・・・すごく良かった。

でも恥ずかしいだろうな。そのまんまを演技するのってって感じ。

シゲの九条ちひろがなんかすごいピッタリだったわ。

まぁあとあきらの母親役が吉田羊で、まぁある意味ある組み合わせだなって思ったわ。

美人同士。

あきらは母親に陸上のスパイクやユニフォームを捨ててと持ってくる。

雨のシーンの多い映画。

反面、青空も印象的。

あきらの心を表したような天気だったのかもしれない。

店長は子供に「早く走れる靴」を探しに来ている。そこにはるかが居合わせる。はるかにとって、あきらをそそのかした感じの存在の店長。それとなく気にしてしまう。

はるかは店長に話しかけてしまう。そして「そんなに悪い人じゃないみたい」と感じる。

ファミレスのバイト先でお客に突然声をかけられるあきら。それは1学年下の山本舞香演じる倉田みずきだった。

みずきは他校の陸上部だがあきらを目標としていた。

そんなあきらが競技会からいなくなり、バイトをしていることにショックを受ける。

あきらの心が揺れる。

晴れた日にまた現れたみずきはゴミ出しをしているあきらに向かって全力で走ってきて壁ドン。

身長の高い小松菜奈に壁ドンするのが大変だったって言ってたシーンだな。これ。

そして、自分もアキレス腱を切って腐っていたときにあきらの走りを見てリハビリを頑張ったんだと言う。

店長はあきらのシフト希望を見て「もっと好きなことをしていいんだよ」と言う。

「好きなことなんてありません」

揺れ動くあきら。

風邪をひいて休んでいる店長の家に行くあきら。店長も大変よね。これで17歳が騒いだら、勝手に来ても45歳の負けだからね。

そんなことまで考えられないのがまた若さなんだけど。

大雨の中に行き、思いを届けようと必死になるが、おじさんも必死に「自分はそんなに好きになられる人間じゃないんだ」と否定する。

突然、停電する。

そこに乗じて抱きつくあきら。

それを返してしまう・・・店長。

電気がつき、平謝り状態の店長。「友達としてのハグだから」

タクシーで帰すときに店長があきらにお願いをする「友達としてお願いできるなら・・・」

暴風雨で飛ばされる店長。

翌朝、台所から朝食の準備をする音。

え、あきらは泊まったの!?

の演出のあとに実際にいたのはちひろだった。

夜中に「孤独死する」とちひろにSOSをしたらしい。

二人のやり取りは面白いし、いい雰囲気。

浜辺で店長と子供とあきら。

店長は雨の日の帰りに「友達としてお願いできるなら子供に走り方を教えて」と言っていた。

子供と一緒に海辺を走るあきら。

あきらは走ることが好きだった自分を思い出す。

風を感じるのが好きだった自分を。

そして店長は言う。

「橘さん、来週からバイト来なくてもいいからね。来月も再来月も」

あきらがやっと店長断ちできた瞬間だった。

そしてあきらは陸上部に戻る。まずははるかとランニングから。

競技会の名簿のあきらの名前に興奮するみずき。

いろいろな人の思い、支えがあって生きていることを感じるなぁ〜。

ほんと繋がりを強く感じる。

そして大泉洋がテレビで「自分は映さなくていいから」って言ってたシーン。

小松菜奈の綺麗さがほんといい。

川辺でランニングしている陸上部の団体とすれ違う店長。

久しぶりに会った二人。

店長「橘さん、元気」

あきら「はい。店長もお元気ですか?」

店長「今度、昇進することになったんだよ」

この後の感動するあきらの顔がね、いいのよ。うん。

喜びを一番に教えてもらったってことの感情なのか?わからないけど。

最初はクスって笑い、最後はホッとした感覚。

小松菜奈の眼力がほんとこの映画のポイントだなって思う。

彼女のシンプルな美しさがあって情けない要素になってしまっている中途半端な自分を引きずるおじさんとがいいのだろうな。

バイト先の高瀬や濱田マリの店員や。

私にとって今でも一番好きなのは初恋の相手だけど、もう還暦間際。どうなっちゃってるだろう?って感じだけど、きっと見た目とかじゃないんだと思うんだよね。

人を好きになるって。

ってことを思い出す映画です。

【モリのいる場所】感想。夫婦のあり方の理想なのか?

熊谷守一さんの晩年

日本を代表する役者さんの二人が初共演という作品ということに興味を持っただけで作品を全然知らないで劇場へ。

レイトショーで貸し切り状態のスクリーン。

映画の持つ世界観が全て私に伝わってきた。

時間の流れ

熊谷守一と言う人を実はあまり良く知らない。

ただ、10年ほど前にウォーキングをしていたときに確か「熊谷守一美術館」という看板を見た記憶があった。

作品はある夏の短い期間。それが2時間の作品になってしまう。

画家だけど、絵を描いているシーンはない。

絵を描く時間という設定はあるけど。

それで何故か伝わってくるものがたくさんある。

モリと呼ばれる仙人のような人を山崎努さんが演じられている。熊谷守一さんを知らないから山崎努さんがそのものなんじゃないかってくらいピッタリな雰囲気。

その妻を樹木希林さん。この二人がどういう掛け合いをするのだろう?それだけで興味津々。

樹木さんが「こういう奥さんだったら」ってことで、もっとおしとやかな方を想像していたのだけど、樹木さん風になったからなのか、そこまでの言葉のイメージはなかった。

時代を知る手段が来客の会話。

ドリフターズについて語っている。

そのときに「荒井注さんから志村けんさんになった」的な感じのことを言っている。

まぁドリフターズについても知らなきゃいけないんだけど。

で、私の記憶の中のドリフターズはもう志村けんさんで、荒井注さんがドリフターズのメンバーだったってこと自体を知ったのも近年って感じで。

で、それがいつだったのか?

荒井注さんのドリフターズ脱退が1974年ってことだからその頃なんだろう。

亡くなられたのが1977年。晩年のモリさんってことになる。

モリさんは豊島区千早の自宅から外に出ない生活を20年以上過ごされていた。

1956年に軽い脳卒中で倒れて以降ってことのようだ。

モリの食事風景から始まる。

モリと妻と姪の美恵ちゃん。映画では子供が先に逝ってしまってって感じだったのだけど、現実はそんなことはないようだ。だって美術館の館長とかって娘さんとかでしょ?

美恵ちゃんの存在は二人にとっては鬱蒼とした老夫婦の中にある明るさだ。

ただ、ちょっとぽっちゃりとした体型と運動不足なのか、すぐに足がつってしまう。

朝の食卓。

いきなりモリの面白い行動。お味噌汁の中の油揚げをお皿に移し、それをはさみで切ってから食べる。

ウィンナーは工具で挟んで潰してから食べる。

ウィンナーだからね、潰す瞬間に汁が飛び散る。

妻はハンカチを顔の前にかざして準備体制。美恵ちゃんはもろにかぶる。

それが何度となく繰り返される。

文句を言わない妻と美恵ちゃん。

妻は食事の後に夫に「今日はどうするんですかぁ〜?」と聞く。夫は「今日は池に行く」と。

背景をまるで知らないから何のことかわかってなかったんだけど。

家を出る支度をするモリはまぁいろいろと準備を腰に巻きつける。

そして家から出た途端、広がる小さな森のような茂み。

自宅の庭なんだろうけど、モリはそこに生きる生命ひとつひとつに語りかける。

カメラもモリの目線で虫を撮る。

久しぶりにハエの触角を見たわ。

モリは自宅の庭にも関わらず、ひとつひとつ丁寧に観察を続ける。

そして・・・はっと我に返ると。

そこはスタート地点の縁側の際。妻が洗濯物を干していた。

「あぁ、池に行くんだった。」

家を1周して戻ってきたらしい。

そして「池」とは。

なんとモリが家にこもってから自分で庭に掘ったものであった。

そこにはメダカが生息していた。

それをゆっくりとした時間の流れのまま見つめる。

モリの家には多くの人が出入りしている。

そこに三石研演じる雲水館という旅館の主人朝比奈が看板を描いて欲しいと依頼に来る。

突然の依頼にきたろう演じる画商の荒木や他の人は面白くない。

妻は朝比奈に「うちの主人は3文字しか書きませんから」と言う。

そこを何とか・・・と粘る朝比奈。

朝比奈が信州から来たことを知り、モリは描くことにする。

朝比奈の注文は「雲水館」

朝比奈は立派な木の板を持ってきていた。

そこにモリが力強く描き始める。

周囲の動きが止まる。

書かれた文字は「無一物」

妻は「だから夫は3文字しか書きません」と。

落胆する朝比奈に荒木たちは「いっそのこと、旅館の名前を変えたら?」と。

まぁそれでも財産になるよね。

モリは自宅にこもっているため、新幹線の存在を知らず信州からというと何日もかけて来てくれたと思って書いたのだろうと言うことだ。

モリの家には若い人も多く来ていた。

そしてモリの家を守ろうと言う看板をモリの家の周囲に。

時代の流れからモリの家の隣にマンションの建築が始まっていた。

それを反対する人の中に知らない男の三上博史が居た。

「お前は誰だ?」

逃げていく知らない男。

そんな感じでいろんな人がこの人には集まったということが伺える。

そのモリを取り続けるカメラマンの藤田を加瀬亮、アシスタントの鹿島を吉村界人。

加瀬亮がね、なんか最近ちょっと変わった感じがする。

私の中の加瀬亮のイメージが「SPEC」だからかな。去年の「3月のライオン」辺りから線の細いイメージになっている。

モリを撮るカメラマンの。初めてついてきたアシスタントは半ズボンでついてきて突然虫除けスプレーをかけはじめる。

その行為はここには合わない。

「帰っていいよ」と言う藤田。

虫が苦手ながらも鹿島は謝り一緒にいる。

藤田はメモを鹿島に見せる。それは自宅を書いたもの。

モリが座る場所が番号で記されている。「天狗の腰掛け」とかって言われていると言うと「誰にですか?」と返されてフリーズ。

モリがある椅子に座ったまま固まっている。

それを撮る藤田。鹿島は「何をしているんですかね?」と藤田に聞く。きっとそういう人を見ることが初めてだったのだろう。

ときは高度成長期。時間の流れが早かったんじゃないだろうか。

突然止まった時間。

若者にはどう映ったのだろう?

モリが見つめている石はモリが見つけたものだが、その石がどこから来たのかを考えていた。

毎日観察している自宅の庭になぜ?どこから?と思ったんだろうなぁ〜。

時間は進まない。

お昼ごはん。うどんを茹でているところにお隣からカレーが差し入れられ、急遽カレーうどんに変更。

カメラマンやお隣さんとワイワイしながらの食卓。

そこでドリフターズのことが会話に入って時代背景がわかる。

モリはカレーうどんをなかなか箸でつかめずにいる。

そして、なぜかその後のオチで「タイル」がカメラマンたちに落ちるという・・・。

ドリフターズのネタを盛り込んでいる。

うーん、この映画の対象は最低でも45歳以上じゃないか?

ザ・ドリフターズのタイルネタっていつまでしてたの?って感じ。

美恵ちゃんはプールに泳ぎに行く。そこでもしっかり足が攣るんだけど。

藤田たちは今度はモリと同じ体勢になってアリの観察を始める。

「ちゃんと見て」と言われてもモリの世界は見えない。

アリの動きがあまりにも早すぎて凡人には見えないが、天才には見える景色があるようだ。

全員が横になって一心にアリを見続ける。

鹿島が変わっていく。たった1日で。

帰り際、鹿島は藤田に「明日も行くなら自分も連れて行って欲しい」という。

モリの魅力に多くの人が惹きつけられたいったのだろう。

藤田たちが帰った後、マンションのオーナーの水島役の吹越満と工事の現場監督の岩谷役の青木崇高が訪れる。

マンション建築に反対する看板の撤去を求めに来ている。

妻としては、庭に陽が入らなくなるとは聞いてないし、あれは若い人がやっていることだからとひかない。

それでも工事現場の人が来ても快くトイレを貸したりしているわけで。

岩谷はトイレに行くとそこにモリの姿が。

岩谷はなぜかモリに息子の絵を見せる。岩谷は自分の子供に絵の才能があるなら教育方針を一から考えなきゃだと言う。

モリは「才能はありません。才能のない絵がいいのです。」と凡人にはわからないことを言う。

「才能があることは終わりなのだ」と。

そこで意気投合したのか?

モリは池を潰そうと思うと妻に告げる。

妻にも思うところがあったようだが、聞く。

聞くと、池を戻す算段がついたというのだ。そこに帰ったはずの岩谷が来る。そして「これだとトラック15台分必要だな」という。

そして「なぜ、潰すんだ。こんないいものを」と言うが、「勝手なことを」と呟くモリ。マンションが建ったせいで陽が入らなくなるからだ。

モリは岩谷に「この魚を責任を持って持ち帰って子供に描かせたらいい」と言う。

すごい物々交換だ。

モリに多くの人が近づき利益を得ようとしていたのだろうが、それを排除するのではなく取り込む人たらし術があったように思える。

美恵ちゃんが帰ってくる。大量の肉を持って。

当時はまだ冷蔵庫がなかったのだろう、暑い夏の日に大量の肉の処分に困る。

が、「あぁ独身の男ねぇ〜」と妻がいい、夜はどんちゃん騒ぎになる。

なんと工事現場の人を招いてしまうのだ。

マンションが建ってしまうことは自分たちにとっては不都合なのに、人を憎むことをしない。

すごい人達だ。

モリは外にもう一人いることに気づく。

そこには誰だか知らない逃げていった男がいる。

彼は言う。「モリ、池と宇宙が繋がった」と。

きっとモリの妄想なのだろう。

彼はモリに一緒に行かないかと言うが、モリは拒否する。

「妻をこれ以上忙しくさせられない」

モリのために妻は献身的に尽くす。

多くの人がモリを目当てに訪れるために妻は息もつけない。

それをモリは知っている。

夜、モリは妻と囲碁を打つ。

モリは弱い。

そして夜。

モリは勉強の時間だと言う。

「みんなは勉強がなくていいな」と。

そこからモリの「画家」としての時間が始まる。

フクロウの見守る中で、昼間に見たモノを形にしていく。

そんなことを続けていた人生だったのだろう。

87歳、文化勲章の内示を辞退し、92歳勲三等叙勲も辞退した。

老衰で亡くなったのが97歳。

自然と生きた人は長寿なのか?

この映画には私が生まれた頃のちょっと都心が描かれている。

住宅街の中の茂み。

マンションの建設。

それを守ろうとしている若者。

映画の最初に昭和天皇が「この絵は・・・」と困るシーンからだけど、天才の絵はほんとわかりづらそうだ。

【「万引き家族」】パルム・ドール受賞

パルム・ドールは初受賞

是枝裕和監督作品とカンヌ国際映画祭の相性はいいのだろうと思っていたが、意外なことに、この作品が「パルム・ドール」初受賞。

家族を題材にした作品はどこの国でも響くんだと言うことを感じる。

「万引き家族」

映画館でも予告が始まっている。

昨年の「三度目の殺人」とはまた全然違う感じの作品。

もうね、リリー・フランキーさんと樹木希林さんと安藤サクラを見ただけで、「これは面白い」と思ってしまう。

主演女優賞と助演女優賞は決まった感じがしちゃうくらい。

リリーさんも絶対日本アカデミー賞の主演男優賞だよね。

是枝監督作品の家族ものはやっぱり評価が高い。

初めて是枝監督の存在を知ったのは「誰も知らない」

もう14年も経つ。この作品は柳楽優弥が最年少男優賞獲得で話題になった。

リアルで見る勇気はなく、その後DVDで見た。なんか日本って国のリアルな部分を見た感じがした。

2013年の「そして父になる」福山雅治とリリーさんが出演していて審査員賞を受賞。

「海街Dialy」は残念ながら受賞とはならなかったけど、私は好きな作品だ。

そして5度目の正直で是枝監督にパルム・ドールが届いた。

「万引き家族」を初めて劇場で予告を見た印象は「暗い」

まぁタイトルからどういうことだろうって思うわけで。

是枝監督が現在の日本で思うこと。社会的に目を背けている部分をあぶり出している作品だと思う。

10年の構想。

2000年前半、年金の不正受給が社会問題となっていた。

そして、子供に万引きをさせる親。

それをどう描いているのだろう?

とても興味がある。

目を背けてはいけないものをきちんと観て感じるべきだと。

日本公開まであと3週間弱。

6月8日はかなり多くの邦画が公開となるのだけど。

【映画 ピーターラビット】感想。VFXの技術が凄すぎる!

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ピータラビット

ピータラビットの実写化になるんだよね?

実写の中でうさぎや動物が生き生きと飛躍する。

まるで本物の動物が意思を持って動いているように。

そしてうさぎが愛おしくなる。

VFXの技術がほんとすごい。それしかないかも。俳優さんたちはどういう状況で撮影したんだろう?って感じ。

ピータラビットの世界

ピータラビットは・・・児童書の主役キャラクターってことなんだけど、キャラクターでしか知らないから、ピータラビットは「かわいいもの」ってことだった。

本作では日本語の吹き替えでピータラビットが千葉雄大だった。

まぁそれで興味を持って行ったって言うのが本当の話。

じゃなきゃ、行かなかったかも。

でも、行って良かったかもしれない。

うさぎの可愛いだけじゃない本能の部分がわかったかもしれない。

私にとってうさぎは可愛いもの。

それでもイギリスの湖水地方を舞台にした田園風景の中では共存していくのはかなり難しいのかもしれない。

畑を耕している人間にとって、それを盗んでしまう動物は「害獣」にしかならない。

ピーターの一家はマグレガー家の敷地にある樹の下に住んでいる。

マグレガーのおじいさんもピーターたちを捕まえようとする。

マグレガー対ピーター一家

ピーターの父親もマグレガーの罠にはまってパイにされてしまう。

ピーターはいとこのベンジャミンと妹たちと勇敢に戦う。

お隣さんのビアはうさぎの味方だ。とても創造的な絵を描くが、息抜きで書いているピーターたちの絵はとても上手だ。

マグレガーさんはうさぎを捕まえようとする。ピーターは捕まってしまう。

ところが、ピーターを捕まえたマグレガーさんはそのまま倒れて亡くなってしまう。

マグレガーさんの畑からお屋敷までピーターたち動物たちの館となった。

騒いでいるピーターたち。

ロンドンのハロッズで副社長になろうと脇目も振らずに働くマグレガーの孫になるのか?トーマスに疎遠だったマグレガーさんの遺産相続の書類が届く。

トーマスのおじいさんが亡くなったことで休ませようとするハロッズ。

しかし、昇進にしか目がいかないトーマスは自分じゃない人間が副社長のポストに就いたことに不満を爆発させ、解雇となってしまう。

湖水地方のマグレガーおじいさんの家に向かうトーマス。

家の中は潔癖症じゃない人でも大変な状態の家の中だった。

隠れていた動物たちが一斉に逃げ出す。

潔癖症でちょっと人間味に欠けるトーマスはマグレガーさん以上に動物を追い出そうとする。

ビアはその前にトーマスにうさぎと仲良くして欲しいと頼み込む。

ビアとも最初は会話が噛み合わないトーマス。

それでもビアの美しさに一目惚れ状態のトーマスだった。

ピーターたちは二人の雰囲気が気に入らない。

ピーターはトーマスを追い出そうといろいろと意地悪をする。

ベンジャミンが捕まってしまう。助けるために助け合うみんな。

まぁ頭がよく回るってくらい賢い。

それがデフォルメされてるとは思えない感じ。

賢いんだろうね。

ピーターのトーマスへの攻撃も収まらない。しまいにはビアの絵に色を塗ってしまう。

ビアはピーターをうさぎとしか見ていないが、ピーターのした行為としてピーターを追い出してしまう。

ビアを失いたくないピーター。

トーマスはダイナマイトまで購入してピーターたちの巣穴に仕込む。

トーマスは逃げるピーターたちにダイナマイトを投げつける。

そこにビアが来てトーマスのしたことを非難する。

トーマスはビアに言い訳をする。起爆スイッチを落としたことに気づかない。

ピーターは事の顛末を想像せずにスイッチを押してしまう。

それは自分たちの巣穴に仕込まれたダイナマイトの起爆スイッチで、巣穴は吹き飛び、上の樹がビアのアトリエまでも壊してしまう。

全てが壊れてしまった。

トーマスはロンドンに戻り、ハロッズに復職する。

ビアは引っ越すことになる。

さすがにやりすぎたことを反省するピーター。

ビアを悲しませたくないピーターはビアのためにトーマスを呼び戻しにロンドンまで行く。

まさかハロッズにピーターが現れると思ってなかったトーマスはまた過剰に反応してお店の中で暴れる。

ピーターはトーマスに話しかける。それを聞こうとするトーマス。

人間的に少し丸くなってきたから聞こえるようになった?

ピーターは自分もやりすぎたことを謝る。

そしてビアのために戻って欲しいとお願いする。

トーマスはピーターの言葉を聞き、戻ることに。

TAXIに乗り込もうとしていたビア。それを妨害するピーターの妹たち。

そこに間に合ったトーマス。

ピーターもビアに謝る。おでこを合わせて。

そしてそこからは仲良くきっと暮らしていくってことなんだろう。

日本語吹き替えは千葉雄大以外は声優さんなんだろうな。

千葉雄大は千葉雄大らしくて良かったよ。

イギリスの湖水地方の自然の雄大さとロンドンの街並みがとても良い感じ。

うさぎを飼いたくなるかって言われたら・・・初めて飼ったのが「ミニウサギ」で1年で成猫サイズになったのには驚いたんだけど。

まぁ大変だったよね。齧歯目。

でも、可愛い。

【蚤とり侍】感想。朝からちょっとエロ過ぎだったが、最後は感動なのか?

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蚤とり侍

時代背景がわかりづらい

まぁエリート侍の小林寛之進を阿部寛がしているのだけど、「真面目」って役がすごくピッタリとしている。

しかも早々に寺島しのぶ演じるおみねに「下手くそだ!」って言われちゃう・・・

でも、最後は泣く。

うーん。な感じ。

脂の落ちた感じ

斎藤工が出ているのに、体当たりの役が阿部寛と豊川悦司というちょっと脂が落ちてきた年齢のお二人。

でも、しっかりと身体が締まっていてカッコイイ。

時代は江戸。

まぁ時代も人も知らないのでちょっと困る展開なんですけど、結局、まずあるのは老中田沼意次(桂文枝)の規制緩和から流れている話だったらしい。

その辺りは歴史で・・・覚えてない。

最初の辺りにジミー大西が出てきてたりしてたかも。

寛之進は越後長岡藩の勘定方書き方のエリート藩士という役。

その寛之進がなぜか歌会の場で藩主牧野備前守忠精の松重豊に突然左遷を命じられてしまう。

松重さんの藩主もとてもいい感じ。

清廉潔白な寛之進に与えた仕事は「猫の蚤とり」

そして、江戸の貧乏長屋に住むことになります。

きっと一般的な侍にとってはプライドを傷つけられることなのでしょうが、「殿の命令なら」と言う寛之進はあまり意に介してない様子。

そして「蚤とり屋」さんを訪れる。侍の格好のまま。

驚くよね。町民も。

そこにいる蚤とり屋の夫婦が風間杜夫と大竹しのぶ。

いい雰囲気だわぁ〜。

「猫の蚤、取りましょう〜」を陽気に言う練習。

何をする仕事なのか?

寛之進はわからないまま、町へ出ます。

従業員?全員で町を闊歩して「猫の蚤、取りましょう〜」と連呼する。

え〜そんな世の中なの?

ってことで寛之進は亡くなった妻とそっくりな寺島しのぶ演じるおみねから声がかかる。

おみねはお殿様の愛人らしいのだけど、全然かまってもらえないと、寛之進を押し倒す。

なすがままの寛之進。

勝手に気持ちよくなっている寛之進に要求するものの何もされないことにおみねが一言。

「下手くそだ!」

男性としては・・・一番傷つくんでしょ?

まぁ妻が居たという設定ではあるけど、何もしないタイプだわね。

頭でっかちの。

でも、真面目な寛之進は殿の命令をきちんと出来ないと困ると悩む。

そこに見るからにプレイボーイ風の清兵衛のトヨエツを助ける。

清兵衛は寛之進を食事に誘いそこで自分の身のうちを打ち明ける。

清兵衛は小間物問屋「近江屋」の入り婿。そして妻は前田敦子。すごい設定。

でも、前田敦子合ってる。和服いいかも。顔のパーツが寄っていることも日本人的だからね。

清兵衛の告白が面白すぎるんだけど。

うなぎ定食を食べているところで大声で言う話でもないだろうって話を言う。

まぁ何のことはない、夫の浮気を出来ないように妻の監視が厳しいって話で、なんと大事なところに「うどんこ」をまぶされているってことだった。

なのでしたくても出来ない。

寛之進にうどんこを持ってきてほしいと頼む。寛之進は「女の悦ばせ方を教えてほしい」と頼む。

両者の思惑が一致し、まずは清兵衛の作法を間近で見る。

あり得ない設定だけど、今よりも情報がない時代で出来ない人はほんと出来なかったんだろうなって思う。

勤勉さが取り柄の寛之進は早速おみねの元へ。

おみねは寛之進の豹変に悦ぶ。

ただ、寛之進、途中で流れを忘れてしまって突然フリーズ状態。そこから空想の中でなぜか4人でやってる様相になっていく。

そして寛之進も一人前になった頃、清兵衛がふんどし一丁で寛之進の元へ来る。

浮気がバレてしまった。

なんとうどんこに塩がまぜてあったということで追い出されてしまう。

清兵衛も蚤とり屋でお世話になることに。

さて、一番の男前だろうと思う斎藤工はなんと寛之進の住む貧乏長屋のお隣さん。そこで寺子屋をして貧乏生活をしている。

お金を取らずに近所の子供に読み書きを教えることでまぁ貧乏だな。

そんなときに猫と一緒に残飯を漁る。そこで猫に引掻かれてしまい、高熱を出してしまう。

しかし、お金のない人々に医者は来ない。

清兵衛は近江屋の医者を連れてくると出ていったっきり戻らない。途中でお殿様の馬にぶつかってしまっていた。

待っても戻ってこない清兵衛。

斎藤工演じる友之介は父から「これだけは売ってはならない」と言われている刀があった。

そこには1000両の価値があると書かれていた。

寛之進はそれを持って伊武雅刀演じる医師の元へ。

医師は寛之進の気持ちに打たれて友之介を救う。

おみねのところに意次が来る。そこで藩主がわざと寛之進を左遷したことなどを聞く。

意次は自分の身が危ないことを言い、おみねにも伝える。

意次の失脚により寛之進は「蚤とり」の罪で捕まってしまう。

それを見守る長屋の人々。そこでやっとかっこいい友之介が出る。

そして寛之進は藩主の元へ。

寛之進は藩主に対しても「蚤とり侍」であったことを恥じない。町民と関われたことに感謝する。

藩主は寛之進の心が自分から離れることに悲しさを感じたのか?

寛之進に越後長岡藩を任せると言う。

おみねが現れ、一緒に行くことに。「下手でもいいか?」と聞く寛之進にフリーズするおみね。

まぁ最後はね、涙なんだよ。

案外。

ポロってくる感じ。

まぁ下手な人がいないことがまとまりのいい映画なんだと思う。

朝から見ちゃいけなかったかもしれないけど、まぁ「娼年」とはまた違った「性」を見られたかな。

トヨエツがいいの。ほんと。色っぽいし、艶っぽいし。

【映画 孤狼の血】感想。昭和の時代、良くも悪くもこんな時代だった。

マル暴と言う名のヤクザ

映画の舞台は昭和63年。

昭和が終わる頃の日本。

広島という地だけではないのだろうという想像がつく。

ほとんどが昭和のおじさま方

公開初日、一番大きなスクリーンではなかったのだけど、それなりに入っている感じ。

ほとんどがお一人様って感じの座席。

終わってみて思ったのは、「あれ?女性って自分だけ?」

ほとんどが60代前後のおじさん。

今の時代の子が見てもほんとフィクションの世界と思われるのだろう。

でも、昭和を生きてきた人にはノンフィクションに感じる。

これでもかなりオブラートに包まれた抗争だろう。

作家の柚月裕子さんは同世代の女性。女性目線で書くギリギリのものだったのだろう。まぁそれを映画化するにあたり、どのくらいまたオブラートに包まれたのかわからないけど。

原作を読んでみようと思う。

映画は呉原東署の刑事二課の主任大上章吾ことガミさんの役所広司と県警本部から赴任した広島大学卒業という肩書の新米刑事日岡秀一の松坂桃李の二人を中心とした話し。

バイオレンス系の映画に全く興味のないというか毛嫌いしているくらいなのだが、映画の予告で「これは観なきゃかも」と思わせられるものがあった。

まず、役所広司さん。「三度目の殺人」では主演の福山雅治の影がどっかへいってしまうくらいの怪演。そして松坂桃李の振り幅。今年になって4本目の映画。1本目が「パディントン」の声優、2本目が「不能犯」、3本目が「娼夫」そしてこの「孤狼の血」。

全てが見事に違うタイプだ。まぁ「不能犯」に近いかと思ったがそうでもなく、「娼夫」的な影を持った変な正義感があるのかと思えばそうでもない。

それでも、田岡の変な自分勝手な正義感が当てはまる。

昭和63年。

まぁ昭和の時代なんてヤクザの抗争なんて日常茶飯事のように今の芸能ニュースと同じくらい日々報道されていたような気がする。

まぁ学生時代だからテレビを見てなかったけど、新聞ではそんな報道が多かった。

映画はまず養豚場でのリンチから始まる。

まぁ最初から目をそむけたくなるようなシーン。

豚の糞を食べさせるというのはやっぱり屈辱的な行為なのだろうか?

まぁどの糞でも食べさせられるのは嫌だわ。

呉原金融という五十子会のフロント企業の経理が行方不明だと届け出るMEGUMI演じる上早稲潤子。その経理は兄だと言う。まぁリンチされてたのがこの兄なんだけど、MEGUMIだったの?え?まぁ胸の大きさはMEGUMIだったかもしれないけど、顔が別人。気づかなかったわ。

ガミさんは田岡にかき氷を作らせて取調室に持ってこさせる。そして、田岡を退室させてなんと身体の関係を持って、詳細をしゃべらせる。

まぁ昔なんてこんなことあったのかもしれないと思わせられるのがすごいけど。

ガミさんは呉原金融が五十子会の下部組織、加古村組が絡んでるとみて、加古村組の構成員の勝矢に因縁をつける。そして、上早稲の失踪に絡んでいることを認識する。

そこには田岡の多大なる被害もある。

田岡はガミさんのやり方に反発する。

クリーンなやり方でどうヤクザとやり合うのかとこっちも不思議になるくらいの正義感だけの塊である。

怪我をした田岡を薬局に連れていき、阿部純子演じる岡田桃子に手当をさせる。

ガミさんのやり方はまぁクリーンとは言えないが、ヤクザがいざ抗争になればカタギにまで害が及ぶことを危惧した中で自分がやらなきゃという意識で向かう。

それは組長が収監されている尾谷組に対してかなり甘く感じる。

そうすることで釣り合いを取っているようにも思える。

そういう刑事が昔はいたのだろう。自分の身を危険に晒しながらもギリギリのところで均衡を保つ役割の刑事が。

正義だけで平和が保てるならヤクザはいないはずだ。

それでも法律というものではヤクザはなくならない。そしてヤクザのいなくなった社会は社会で半グレとか中国のヤクザとかいろんな要素が我が物顔で行き交うもっと厄介な社会構成になってきているのではないだろうか?

田岡はガミさんの相棒でありながら、県警から送り込まれたスパイでもあった。

ガミさんを監視し、県警の嵯峨警視の滝籐賢一に報告する。

嵯峨警視に田岡は一刻も早く、懲戒免職にすべきだと申告するが、嵯峨警視は物証を求める。

ガミさんが書き溜めているという「日記」を探すことを田岡に指示する。

ガミさんは上早稲を探すことで加古村組に楔を打ち込むことが出来ると探す。その矢先、加古村組によって尾谷組の構成員が射殺されてしまう。

が、そのことを知らない田岡によって、尾谷組が報復したとして尾谷組の構成員が現行犯逮捕されてしまう。

均衡が崩れかける。

それでもガミさんは違う手で真相を追う。

クラブ梨子のママ、真木よう子を使って。真木よう子、一時すごく痩せた感じだったけど、凄みがあってママっぽいし、色っぽいし、細いのに胸が大きいし。ズルいわ。

殺された構成員はママと付き合い始めたタカシだったこともあり、ママも復讐の念があった。

そして一番怪しかった加古村組の吉田滋の音尾琢真をママ自ら誘い出す。

最近、音尾琢真こういう役が多いなぁ〜と思うけど、そんなに印象に残る顔ではないからいいのかもしれない。

吉田が全裸になったところにガミさん、田岡が登場し、吉田を縛り付けて痛めつけながら自白させる。

上早稲を無人島に捨てた。

無人島で上早稲が発見される。これを尾谷組へ報告することでことが収まる予定だったところで、ガミさんが謹慎処分となってしまう。

新聞記者高坂を中村獅童。まぁ嫌らしいわ。

何も知らない署長にガミさんの過去から違法的行為をたれ込んでいた。

ガミさん不在の中、田岡は一人尾谷組へ行くが、ガミさんが来ないことは裏切ったと言う尾谷組若頭一之瀬の江口洋介。カッコイイわ。

何も出来ない田岡。自宅へ帰るとそこにはガミさんが。

「そんな座敷童を見たように驚くな」

驚くよね。自分が監視していたことを書いたメモからテープからある場所なんだから。

尾谷組は動き出す。そして五十子組へ報復へ出る。

それを仲介するガミさん。

五十子組の会長の石橋蓮司。まぁ似合ってるよね。こういう役。

仲介するガミさんに無茶な要求をする会長。それでもガミさんは一之瀬に要求を伝える。が、のまない。一之瀬は尾谷組組長の伊吹吾郎にも伝えに行くが、一之瀬の言うとおりにするということで決裂してしまう。

そこまでするガミさんを危惧する田岡。

ガミさんの正義とは何なんだ?

理解が出来ない田岡。

ガミさんは「ヤクザにも警察にもどっちにも偏っても行けない。綱渡りそのものだ。もう上がってしまった以上進むしかない。」

田岡はガミさんの身の危険も薄々感じていたのだろうが、どうにもできない。

そのままガミさんは行方がわからなくなる。

が、その後加古村組の一層捜索が入る。

ガミさんの遺体が上がる。

その船がちょっと残念。「平成丸」昭和の時代だったはずでまだ「平成」にはなってなかったはずだけどな。元々「平成丸」があったのかもしれないけど。

ガミさんは多量のアルコールと睡眠薬により誤って海に転落したという県警の会見。

身体には刺し傷が多数あったのに。

田岡は養豚場へ行く。

養豚場は五十子組の下になっていた。田岡はそこでガミさんの痕跡を探す。

ガミさんのライターを見つける田岡。

田岡は部屋に戻り、日誌を見ると自分が監視していた内容にコメントが入っていた。

ガミさんは田岡の存在が自分の監視役だということを知っていた。

そして、ガミさんの日記は梨子のママが持っていた。

それはガミさんがヤクザより怖いもののために集めた情報であった。

そして最後のページには田岡の名前もあった。

今までにも多くのスパイがガミさんのところに送り込まれているということを知り、笑い出す。

自分の役目はなんて浅はかだったのだろうと。

五十子組の決起集会の場で尾谷組が襲撃に入る。その手助けをした五十子組の全日本祖国救済同盟の代表ピエール瀧と田岡であった。

まぁ最後までバイオレンスよ。

石橋蓮司の首を取っちゃうんだから。

それの後片付けをさせられるホテルも大変だわ。

ホテルを使ってもらうのも気が気じゃないだろうけど、断ったら報復怖いし。

持ちつ持たれつって感じなんだろうなぁ〜。

決起集会に県警本部の嵯峨警視も居たが、状況を感知し逃げる。

その後、田岡が尾谷組の一之瀬に手錠をかける。下のものを差し出したものの田岡が「所詮、ヤクザは駒」というガミさんの言葉に従って行動した。

嵯峨警視にガミさんのスクラップブックを渡す田岡。「所詮、ガミさんの妄想ですよ。最後は自分が書き足しましたけど」と。

最後のページは嵯峨警視が現場から逃走したと書かれていた。

県警本部に戻るか?との問いに「いや、まだ悪い刑事が残っているから」と所轄に残る。

若い刑事が正義をどう感じただろう?

その部分が現代の正義になってしまっているように思える。

裏金は?やくざのような刑事は?

スナックでバイトしていた頃、一番キライだったのが、マル暴の客。

刑事という肩書があるかないかでヤクザと変わらない物腰。

国家権力をかざすだけもっと嫌だった。

あと、自衛隊の幹部ね。

あの頃、ほんと今だったら全員クビって感じのことが横行していたと思うわ。

を思い出した映画だった。

「失楽園」以来のスクリーンの数らしい。それでも私の行った映画館では2番目のシート数。ランキング1位を獲れるとは思えないのだけど。どうなんだろう?

先週までの子供映画フィーバーは終わった感じで落ち着いたロビーになっていたけど。

土日で見たら厳しいかもね。団塊の世代の人は平日に行けるわけで。

30代以下の人には理解が出来ないかもしれない内容かもしれない。

演者さんの全てのレベルが高い。バイオレンス系ってただがなってるわけではないなぁって思う。

女性の書いた小説なんだけど、どういう気持ちで書いたのだろう?

【人魚の眠る家】東野圭吾原作作品の次の映像化作品

「ラプラスの魔女」の次は・・・

去年の暮、映画化のニュースがあったようだが、あまりにも忙しかった自分はそれを知らなかった。

先月だと思う。

久しぶりに読書をしようと最初に手に取ったのが「人魚の眠る家」だった。

映画化されると知らずに

東野圭吾作品は、映像化を意識した書き方をされているから、読み終わった後、映画化されるだろうなって思った作品。

でも、誰がどうキャスティングされるだろう・・・それが楽しみでもあった。

そして

一番の軸となる夫婦が篠原涼子と西島秀俊。

いい年齢なのかもしれない。

篠原涼子の妹役をするのは誰なんだろう?

そして一番難しい娘役、息子役、姪っ子役は?

まだ発表されてない。

東野圭吾の言葉

「こんな小説を自分が書いていいのか?今も悩み続けています。」

これまでの作品とはちょっと違う社会的な意味のある作品だと思う。

人は誰しもエゴにまみれて生きている。それを表に出さないように努力しながら。

それでも自分の子供、肉親が絡むとエゴが表に出てくる。

それはいつ何時自分が豹変してしまうかなんてわからない。

東野圭吾氏は30周年でこの作品を世に出した。

それはきっとすごく意味のあることなんだと思う。

篠原涼子演じる母親は問いかける。

「娘を殺したのは私でしょうか?」

小学校受験を目前に控えた夏の日、突然脳死を告げられる。

「脳死」とは?

日本では1997年に「臓器移植法」が施行されている。

そして2010年に改正され、それまで年齢制限となっていた15歳未満の臓器移植が可能となった。

このことを普段の生活で気にしている人はいるだろうか?

私は親が「献体」をしていたこともあり、臓器移植には前向きで免許証の裏にはいつも意思表示を記入している。

それについて夫に何かを言ったことはない。

仮に自分がその立場になって免許証にあるその記述でそれを尊重するだろうと思っているから。

きっとこの作品の母親である人間も自分だったら「どうぞ」と言えたのだろう。

しかし、自分の子供となると違うのだろう。

現実に小児病棟は提供を待っていた子が提供する側になる皮肉なことが起こりようなものだが、移植数が伸びていない。

そこには「提供される」ことを望むことと「提供する」側になることには拒絶反応があるからだろう。

それを誰が責められるだろうか?

本の中でも篠原涼子演じる母親の葛藤が書かれる。

この本は現在の抱えているそういう問題を書いている。

何が正解で何が間違えだなんてことではない。

ただ、いつも思うことだが母親という存在は子供に対してそこまで精神的奴隷になれるのだろうか?

自分のことは考えずただひたすら子供に愛情を注ぎ込む。周りがどう思うとかは関係ない。

自分の自己満足なのかもしれないが、とことんやってしまう。

そして父親という存在はなんて薄いのだろうということもわかる。

と小説を読んでると思うのだけど、どういう切り口で映画は出来上がるのだろう?

堤幸彦監督だからズバっと切り込むのではないかと思っているのだけど。

11月の公開。あと半年。あっという間なんだろうな。

【サバービコン 仮面を被った街】感想。ジョージ・クルーニー監督作品に興味あり。

2017年アメリカ上映

この映画を観ていて感じたのは、今、アメリカで白人至上主義の再来を危惧している動きがあるということなのか?

1986年から構想があってここにきてやっと着手したのには何か思惑があったのだろうか?

トランプ政権になる前には撮影に入っているけど、このタイミングの上映は何か今のアメリカの危機感を感じた。

白人至上主義

サバービコンという街があるらしい。

1959年頃のアメリカが舞台。

新しい街を作ったWelComeと言う広告で人々が街を作っていたのだが、そこに引っ越してきたのはアフリカ系アメリカ人という一家だった。

広大な敷地の両隣はすぐに見えないように板をしはじめる。

裏にある家がマット・デイモン演じるガードナー・ロッジの家だった。

ロッジの家には足の不自由な妻ローズとその義姉マーガレットがジュリア・ロバーツの一人二役と息子のニッキーが暮らしていた。

ローズはニッキーに隣の子と野球をしてきなさいと言い、ニッキーは隣の子とすぐに打ち解ける。

裏の家には連日多くの野次馬が取り囲み始める。

そんな状況なのにロッジ家には強盗が入る。

強盗はマーガレット、ガードナーをまずクロロホルムで意識を失わせ、その後ニッキーの口を塞いだまま、マーガレットに致死量のクロロホルムをかがせ、死に追いやる。

もうこの段階で臭い。

どうみても臭い。

ローズはそのままロッジ家にニッキーの世話を口実に引っ越してくる。

ローズとマーガレットの兄ミッチはニッキーに一番ニッキーのことを思っているのは自分であると吹き込む。

マーガレットはローズと同じ髪の色、髪型にする。

そして警察から強盗を捕まえたから面通しをしに来てほしいと連絡があり、ガードナーが行くと、ニッキーを連れたマーガレットが。

子供に見せるのは良くないと言い張りニッキーは待たされるが、のぞくとそこには犯人の姿がある。

しかし、父と叔母は「いない」と言う。

不信感を持つニッキー。

隣への妨害行動は激しさを増してくる。

アメリカの評論ではいろんな要素のごった煮ということが書かれていたけど、そうかもしれない。

アフリカ系アメリカ人とロッジ家の関わりはまるでなく、警察が来ていてもロッジ家では殺人が起こる。

ケダモノのような白人のやりかた。

白人だから何だと言うんだ?

まぁ有色人種ですから、差別される側なんだけど、この映画で出てくるアフリカ系アメリカ人はとても頭が良い人種という形容になるように描かれる。

そして子供への教育は「すべてを隠しなさい」と。

すべてを隠すとは悲しみや憎しみなどすべての感情を隠せということだ。

とても深い言葉だと思う。

ロッジ家はニッキーまでを追い出して二人だけで遠い国へ行く計画を立てている。

ニッキーは何歳なんだろう?

小学1年くらいなのか?

アメリカの子供の年齢はよくわからない。

姉を殺したマーガレットは賢くない。

保険会社の人間のカマに全部答えてしまう。そして保険会社の人間は保険金詐欺の片棒を担がせろと言い出す。

が、それは全額を渡すことだった。

外に出れば警察がいて全部話せば刑務所に行かなければならない。

そこにコーヒーを出すマーガレット。そこには洗剤を入れてあり、保険会社の人間は苦しみだし外へ出る。

そこにガードナーがトドメを刺しに行き、保険会社の人間の車に死体を乗せて行く。

それを尾行していた強盗マフィアの一人が運転しながら自転車で帰るガードナーに支払いを求める。

そこに車が正面衝突をし、強盗マフィアは死亡する。

これでマーガレットと二人になれると自宅に戻るとそこには強盗マフィアのもう片方に殺されたマーガレットとニッキーを助けようとしたミッチと強盗マフィアが絶命していた。

クローゼットに隠れていたニッキーに話だすガードナー。

最低な父親を最後まで演じた。

ガードナーが保険会社の人間を捨てに行った後、マーガレットは大量の薬をまぜたサンドイッチとミルクをニッキーに食べさせようとしていた。

が、ニッキーはそれには応じず部屋にこもっていたところに強盗が入ってマーガレットを殺害する。ニッキーはその前にミッチに「殺される」と電話をする。その途中でマーガレットに線を抜かれてしまうのだが。

ガードナーはニッキーに話しながらそこにあったサンドイッチとミルクを食べ始める。

ニッキーもそれに何が仕込んであるのかは知らない。

あれは大量の睡眠薬だったのだろうか?

ニッキーは警察に「パパが全部やった」と言うつもりだったが、ガードナーに「強盗はニッキーまでも殺した」という筋書きを聞かされ怯える。

その後、いろんなケースを話し出すガードナー。

翌朝、机にかぶさるガードナーと一人テレビを観ているニッキー。

裏の家はケダモノによって車は燃やされ、あらぬことをテレビで報道されていた。

これはきっと真実のひとかけらなんだろう。

そしてきっとまだある事実でもあるのだろう。

アメリカに行きたいとも思わないが、自由の国というのは誰にとっての自由なんだろう?

いろんなことを考えさせられる映画だ。

評価は低いからジョージ・クルーニーもマッド・ディモンも来日することはなかったけど。

保険会社の人間が若い頃のジョージ・クルーニーっぽくて良かったかも。

本人だったらとほんと思ったわ。

【映画 ラプラスの魔女】感想。櫻井翔の教授感がいいかもしれない

原作の凝縮

東野圭吾原作の「ラプラスの魔女」

まず、読まないで映画を観るほうが楽しめるのかもしれない。

世界観はちょっと違ったけど。

青江教授が主役

原作では広瀬すずが演じる羽原 円華が主人公として描かれる。

そのサブキャストとして青江教授が登場するが、それはあくまでもサブキャストだ。

昨年、櫻井翔主演で映画化というニュースを聞いて「ジャニーズ映画になってしまう」と危惧したのだが、今の櫻井翔はまぁアイドル感はまるでない「おじさん」だ。

ただ、櫻井翔人気もあるのだろう。

GW真っ只中の会員デーということもあり、満席だった。

あの映画館で満席は過去2回くらいしか体験していない。

それなりに広いスクリーンだけど、前の席まで埋まっていた。

小説では細かい描写で描かれているものがない部分があり、背景を知らないまま観たらどう思うだろう?などと思ってはいた。

まず、2つの温泉地でおこった事件なのか事故なのか。

硫酸化水素で2人の人間が死亡した。

それは観光地にとってはきちんとした結果を示さないことには営業を続けられない。

そこに要請を受けたの地球化学の専門の青江教授だ。

そして事件を追う中岡 祐二刑事役の玉木宏。中岡刑事は亡くなった人物の妻が保険金目当てで殺害したのではないかと怪しんでいた。

原作ではその背景がある。まず最初に亡くなった映像プロデューサー水城 義郎には佐藤江梨子が演じた年下の妻水城 千佐都が居た。

妻の千佐都は元ホステスということもあり、財産目当ての結婚だと噂されていた。

そして水樹の死は当初、事故として片付けられたのだが、水樹の母の投書により中岡刑事が再捜査を始めることで青江教授につきまとう。

一番驚いたのは青江教授の助手役の志田未来のおばさん化。

太ったから?細いイメージがあった志田未来が誰だかわからなかった。

まぁ広瀬すずを見たら他はみんなおばさんだ。

そしてあっという間に次の事件として那須野 五郎が同じように死亡する。

そこには円華がいつも居る。

原作ではそれぞれの殺害の前にこれから登場する福士蒼汰演じる甘粕 謙人が居るのだけど。

物語は2つの死亡が事故なのか事件なのかというところから始まる。

地球科学の観点から青江教授は「ありえません」としか答えられない。

そこに円華が現れ、次々と自分よりはるかに優れた見解を示す。

円華についてはまぁ最初の部分はあんな感じね。

エンドロールに「檀れい」ってあって、「え?どこに?」と思ったけど、オープニングのシーンの母親役だったわね。

北海道で竜巻にのみこまれてしまって亡くなってしまうわけで。

そして、物語はあっという間に甘粕 才生の豊川悦司にたどりつく。

トヨエツが市村正親さんにしか見えなかったわ。最後とか。

アップとか。

映画監督の甘粕 才生は硫化水素で家族を失っていた。

そして残された息子は一命をとりとめたものの、記憶を失っていた。

そしてブログの内容がところどころ出てくるのだけど、そこの部分は原作を読まないで映画を観ていた方が良かったのかもしれない。

それだけで十分伝わる内容だから。

ブログは約1年にわたっているからちょっと長い印象を持っていたからね。

そして、どう加工したのか、甘粕才生の息子こそ円華の探している人物だと青江が見つける。

そこでやっと福士蒼汰が登場ってわけでもなく、彼の出演シーンの撮影は2日くらいじゃないか?

やっぱり一番出ていたのは円華だと思う。

そして円華は科学的なことをいろいろ言わなきゃでセリフ覚えるの大変だっただろうなと・・・

まぁ広瀬すずの顔の穴のないこと。

毛穴ゼロ。

加工したにしてもキレイだったわ。

玉木宏の刑事はまぁ声が大きいだけの印象。

最後は公安案件ってことで事件そのものがもみ消されちゃうわけで。

登場人物として円華のボディーガードが武尾が高嶋政宏ってことで驚いた。え〜ちょっとイメージが違いすぎた。

そして円華の父親の羽原 全太朗がリリー・フランキー。

今まで見たリリーさんの役で一番偉そうな?役だったわ。

いつもはちょっとどっか肩の力が抜けるおじさんって役のイメージなのに。

あと羽原教授の部下の桐宮 玲役のTAOが誰?って感じ。

って感じの登場人物であっという間の2時間10分に凝縮された作品。

最後の間延び感が残念。

最後は賢人が父親の才生に復讐する場面なんだけど、原作の方が一気に吹き飛んだようなイメージだったんだけど。

月虹とか出てきて・・・

うーんそんな感じだったっけ?

映画化した脚本は印象的なセリフの抜粋で良かった。

「未来が見えてしまうことは夢を見られないということ」

「未来を知りたいか?」

などなど。

来週のランキングは間違いなく1位だろうな。

でも、来年の賞レースに絡む作品ではないかな。

櫻井翔のおじさん度が・・・厳しい。